源頼朝が弟の義経を壇ノ浦の戦い後、なぜ鎌倉に入れなかったのか?
実の弟である義経が壇ノ浦の戦いで活躍したのに鎌倉に入ることすら許さなかった。
いろいろと原因はあるようですが
「義経は頼朝に相談することなく、勝手に朝廷から官位を授かった」
これが1番の理由だと言われています。
なぜ、勝手に朝廷から任官されたらダメなのか。
それは、武士の代表である頼朝が朝廷から政治・軍事・人事を任されているのも関わらず、義経は代表を飛ばして直接朝廷とやりとりをしたことが許せなかったのです。
これは今の社会でも同じで、上司への報告・連絡・相談なしに自分の判断で取引先と交渉して受注してしまうようなことです。
会社の方針や方向性を無視して勝手に取引先と交渉してしまう。
社長(頼朝)と従業員(義経)が同じ組織にいながら、会社の方針と違った動きを取るような従業員は必要ないと判断するのと同じですね。
また、頼朝は義経のことをとても賢い者だと認めていた。
自分のポジション(征夷大将軍)が弟の義経に取られてしまうのではないか。
そういった思い込みで義経に対して危機感を抱き、自分の身を守るためだとも言われています。
義経は「朝廷に任官してもらうのに頼朝に相談する必要はない」と勝手に判断し、
頼朝は「義経が征夷大将軍のポジションを狙っている」と勝手に思い込んだ。
例え、兄弟であっても「相手の話を聞いてよく理解する」ことができなかったことが真の原因だったのではないかと思います。
相手の行動や結果を見ただけで「あいつはこういう人だ」と勝手に思い込んでしまうのは非常に危険で
周りの人が自分と同じ意見だとしても、本人がどう思っているのかを聞くまで真相はわかりません。
相手の意見を受け入れ、相手の意見を尊重することの重要さを「他者理解」というカテゴリーで今回のような具体例を用いてセミナーを実施しております。
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2021年10月1日
